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萩 [HVR-Z1J]

先日、萩の風景を撮影しに行きました。
あいにくの天気ではあったが、何とか撮影しました。

説明は、http://www.city.hagi.yamaguchi.jp/portal/より抜粋。


「反射炉」
煙突部分の上部は2本に分かれ、基底部は長方形で、上部に向かって9mまでは玄武岩と赤土を用い、先端の2.5mは大きな煉瓦を使用している。近世の反射炉で現存するのは、伊豆の韮山に築造されたものとここの2基だけで、わが国の産業史上、貴重な遺跡であるとともに、萩藩の幕末における軍備充実の熱意がうかがわれる。国の史跡に指定されている。


「東光寺-三門」
護国山東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院と並んで毛利家の菩提寺である。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残している。


「東光寺-本堂裏」
毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。このほか殉難十一烈士墓、維新志士慰霊墓八基などがある。
(この写真では見えないが、写真左手側に毛利家の墓がある)


「東光寺-庭」
晩秋が漂う。紅葉の名勝地。



「松下村塾」
木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、8畳一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成る。もともと叔父の玉木文之進が天保13年(1842)に自宅で私塾を開いていたのが始まりで、ついで久保五郎左衛門が継承し教育にあたった。安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、塾を主宰することになった。松陰は、身分や階級にとらわれずに門下生として受け入れ、わずか2年半の間ではあったが、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた。国の史跡に指定されている。

萩は独特の雰囲気がして好きな街のひとつではあるのだが、
いかんせん、道が狭い。車ではなかなか目的の場所まで
行きにくい。なんとかして欲しいものである。

by sony Z1J


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kukky

今が紅葉時期なんでしょうか、それにしても文化遺産が残る地域に足を伸ばせるのは幸せですね。
青森市は不思議に文化のない町です。
ど田舎でありながら都会のようなこだわりに対して薄い町です。
そこが好きなところでも有りますが。
根がいい加減だから合うのかも。
by kukky (2006-12-05 23:05) 

stinquee

kukkyさん、コメントありがとうございます。

山口市内にも結構文化遺産があって、そのせいか
歴史文化に関しては、関心の高い地域だと思います。

そう言えば、青森にはキリストのお墓があるという
伝説がありましたよね??本当ナンですかね?
ちょっと興味あり。。
by stinquee (2006-12-07 00:12) 

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